フィールド・ワーク・オン・アルカトラズ
1996








ブロークン・グラス・オン・マップ

アメリカ・アトラス・マップ、ガラス破片







ピープルズ・ブランケット

77.0x210.0cm
フェルト地にステンシル文字印刷、ピロー、マットレス








ワンダリング・ポジション・オン・アルカトラズ

270.0×150.0cm
蟻、スチール・アングル、ワックス・クレヨン







 


シックス・フレーズ・フロム・サンライト

MOON IN CELL, BLOOM AND BONES, WINGS ON ROCK,
STRAY LIKE ANT, LIGHT IN FOG, TIDE AND GREED




1995年5月
 元連邦刑務所として名高いアルカトラズ島をはじめて訪れる。以前、この刑務所に日系人二世が収容されていたこと、また、1969年のネイティヴアメリカンによる占拠などの事件があったことを知り、興味をもっていたからだ。
 その日系人二世(川北友彌)は第二次世界大戦中の行為により、国家反逆罪という刑により、死刑を宣告されていた。反逆罪は米国家に対する大罪である。この川北事件は1947年という終戦直後の米国、ことに反日感情の激しかったカリフォルニアという環境で起こったものである。当地の日系人社会もこの事件に関しては終始沈黙しているようである。
 J.F.ケネディのあの有名なスピーチが思い起こされる。
“Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.
Ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.”
皮肉にも彼はケネディにより、1963年恩赦となった。この大統領特赦はケネディの暗殺直前、最後の公務の一つだった。

1996年4月30日~5月11日
 制作のために使用を許可されたインダストリアル・ビルディングはアルカトラズ島の西側に面している。その広大な空間は南北に長く、回廊のように伸びており、東から西へと移動する太陽の光が時間の経過とともにうつろいでいく。太い鉄格子にはめられた天井の採光口は、光のマス目模様を床に映し出す。その15字分の光のマス目は、まるで誰かがそこに言葉を落としてゆくのを待っているかのように思えた。しかしその光の文字は、日々現れては消えていくのである。潮風により朽ち果てかけたこのがらんどうの建物には、常にうみねこと霧鐘の音が空虚に響いていた。

 このフィールドワークはアルカトラズ島に2週間通い、その場にある状況、ものを使って表現を試みたスケッチ的な作業の集積である。直後、前述の日系人二世やネイティヴアメリカンの事件についてメッセージをもつものではないが、表現の衝動と島への興味を支えたものは、この島のもつそれらの歴史や、ゲニウス・ロキであったといえる。

1996年5月20日
柳 幸典

注1.
参考文献「アメリカ国家反逆罪」(下嶋哲朗、1993年、講談社)
同著は下嶋氏の川北事件に対する詳細な調査に基づく労作である。下嶋氏は同著において「国家権力が一人の人間を犯罪人に仕立て上げていくその具体的な過程」について言及し、この事件が冤罪であると主張している。

(「YUKINORI YANAGI Field Work on Alcatraz」Cap Street Projectより)





個展「フィールド・ワーク・オン・アルカトラズ」
(4.30-5.11, 1996 / キャップ・ストリート・プロジェクト、サンフランシスコ)